『AVATAR』を観てきた。素晴らしかった。

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『AVATAR』を観てきました。
あまりにも感動的だったので、感想を書きます。
批評とか解説じゃありません。感想です。長文です。そしてネタバレ全開なのであしからず。

あまりにも素晴らしい、というのは『AVATAR』の舞台である衛星パンドラにいたことを体感できた、という点です。キャメロン監督はこう言っています「シアターを出る客達が映画を観たというのではなく映画を体験したと言って欲しい」と。
まさにその通りになってしまって、ちょっと悔しい。だけど162分もの長時間、息もつかせず監督の手のひらの上で転がされてしまったのは事実。

しかし、キャメロン監督が14年間もの構想の果てに具現化された衛星パンドラという世界を体験するには、3Dであることが必須だと思います。そういう意味では万人向けではないかもしれない。
3D映画はこれまで何度かブームがあったけれどどれも定着はしなかった。あの煩わしい3Dメガネ、忌まわしいちらつきの疲労感。実はオレは「なんで3Dなんだよ。3Dメガネかけなきゃいけない時点で100点満点中マイナス1億点だよ。しかもチケット高いよ」とか思っていました。

実際、ここのところ3Dの映画は急激に増えたけど、オレは何も観に行ってません。
でも『AVATAR』自体は観たい。ジェームズ・キャメロンの久しぶりの大作映画。
評判を調べてみると......悪い評価どころか各所で大絶賛。ひょっとして3D映画のルネッサンスが起きているのかも!? と思って観ることにしたのです。

結果、3Dメガネはやはり煩わしかった。デカくてサイズが画一的で子供や合わない人にはきっと厳しい。でもその効果が素晴らしすぎてメガネは必要なインフラだと思えるようになった。完璧主義で理想家のキャメロン監督をして、もう3D以外で映画は撮らないと言わしめるテクノロジーの進歩バンザイだ。
バイクに乗るにはヘルメットをかぶる必要がある。そういう類のものだこれは。

『AVATAR』のストーリーはハリウッドらしい王道的な脚本。
つまり、勇敢な新兵が偶然課せられた使命を遂行していくうちに成長して英雄となり、守るべきものを見出してそれと自らを救うために戦い勝利する。そういうベタな物語だ。
だが、地球ではなく衛星パンドラという異世界を舞台に繰り広げられることによって、ユニークで緻密なテーマを扱いながらも娯楽作品として極上の時間を作り出している。
さて、一つづついきます。

●衛星パンドラ
衛星パンドラは美しいジャングルがあり、エデンというものがあるならここがまさにそれであろうと思わせるような土地だ。しかしそれは人類にとって有毒な大気に満ち、獰猛で危険な動物が生息するという、鋭く巨大な牙のあるエデンだった。
そんな土地に住まう原住民族が、3メートルを超える身体と青い肌を持つ"ナヴィ"だ。

そしてこの映画のタイトルとなっているアバターとは、人間とナヴィのDNAを掛けあわせて作られた人造生命体のことだ。
外見はナヴィと同じ、つまり3メートルの宇宙人wだが、自我を持たない。掛け合わされたDNAを持つ人間が機械的に神経接続してその肉体を自由に動かすことができる。

枯渇するエネルギー資源を求めて衛星パンドラにやってきた人類は、求める鉱物が原住民族であるナヴィの聖地の地下に埋まっていることを発見していて、それを根こそぎ手に入れようと軍備を備えた研究基地をパンドラに建設している。

●ジェイク・サリー
主人公であるジェイクは下半身不随となった元海兵隊員で、殺人事件に巻き込まれて死んだ双子の兄の代理としてパンドラにやってきた。兄は研究者で、そのDNAからアバターが作られていた。
ジェイクは車椅子に乗ってパンドラに降り立った。彼は決して死に場所を求めていたのではない。下半身不髄というハンデは治療できるのだがその医療費は彼の年金額で支払えるものではない。それにもかかわらず卑屈にならず、要請をうけたからといって危険極まりない最前線であるパンドラへと自ら赴いていく。
ジェイクは過酷なパンドラの環境を前に、どこにいても兵士がすることは同じだと言う。彼のメンタルの強さはいったいどこからくるのか。

海兵隊員の訓練を知っているだろうか。過酷な訓練で知られるNavy SEALsの訓練学校の様子がディスカバリーチャンネルのDVDで観ることができる。フルメタル・ジャケットは鬼軍曹のイメージばかりが強いが、こっちは過酷な訓練をクリアしようと全力で挑み、それでも脱落してくエリート達が執拗に描かれている。特殊部隊ではないにせよ、ジェイクはそれに類する訓練を受けてきた軍人のはずだ。
彼の心の強さを支えるのは元海兵隊員というプロフィールに違いない。

だがジェイクのそれは守るべきものを持たない傲慢な強さだ。
ジェイクはアバターとして初めてパンドラのジャングルに足を踏み入れたときに遭難する。そしてナヴィの狩猟部族・オマティカヤ族の族長の娘、ネイティリに命を助けられる。
彼女はジェイクをただわめき散らすだけの赤ちゃんと同じだと断じ、軽蔑する。
ジェイクはネイティリにオマティカヤ族の居住地へと連れられ、ナヴィとパンドラの世界そのものについて学ぶこととなる。

●ネイティリ
ヒロインであるネイティリは衛星パンドラの原住民族であるナヴィだ。これは驚愕の設定だと言っていい。
ナヴィの外見は3メートルを超える体躯に青い肌。極端に大きな鼻梁としなやかなで長い手脚はネコ科の動物を思わせる。後頭部からはフィーラーと呼ばれる生体感応器官があり尻尾がついている。
二足歩行をしている人型の動物であることはわかるが、はっきり言ってクリーチャーだ。

もちろんアバターも同じ外見なのだが、人間の意識で活動しているアバターは仮りそめの肉体だ。だがナヴィは違う。完全な異世界の住人だ。
おそらくほとんどの人が同じ感想を持つことだと思う。
「いくら外見が同じでもアバターとナヴィは違う。交流できるとは到底思えない」と。

これはわかりやすいテーマのひとつだ。
ある人々は「自分たちと違う文化、宗教、肌の色を持つ集団と交流できるとは思えない」と考えている。
あなたは違う? では人類とナヴィという立場で考えたらどうだろう。
決定的に異質な、呼吸する大気までもが違う存在と地球人類が対比されることによって、全ての観客は上記の"ある人々"と同類になってしまうのではないだろうか。

ジェイクはネイティリから全てを学ぶ。
パンドラについて、ナヴィについて、生命とは? 生き物を殺すということとは? 戦士とは?
それはジェイクの成長の過程であり同時に観客の意識変化の軌跡でもある。

『AVATAR』のすごいところはネイティリとジェイクの蜜月を多面的に描いていることだ。
ジェイクはナヴィについて知り得たことを、アバター計画の責任者であるグレイス・オーガスティン博士だけでなく、直属の上司である元海兵隊のマイルズ・クオリッチ大佐にも報告するという特命を受けている。

ナヴィとの友好的なコンタクトを求める博士と、アンオブタニウム鉱床の制圧という最終目的の為には手段を選ばない大佐。ジェイクは対極の立場に同時に立たされながら、純粋でタフな精神力をもって自分のなすべきことを見極めようと行動し続ける。

観客はジェイクに感情移入した上で、ナヴィと人類の両方を交互に俯瞰する。するとそこにはもう理解不能なクリーチャーなどどこにもいない。相手を知ることで恐れは薄れゆき、友愛と尊敬が生まれるのだ。
意識が変化すると、最初はクリーチャーにしか見えなかったネイティリが美しいだけでなくセクシーで魅力的にすら見えてくる。

デフォルメされたキャラクターならまだしも、この感覚には本当に驚いた。ジェイクのアバターとネイティリが契りを交わすシーンは、パンドラの幻想的な景色とも相まって本当に美しい。

多くを語らずとも理想家のキャメロン監督がいいたいことはわかる。人類が認めあえないということなどはありえない。偏見をなくして想像力を働かせることが大切なんだと。
このテーマを扱った作品は多い。だが全人類というボリュームゾーンに訴えられるほどのパワーをもった映画がこれまであっただろうか。

●マイルズ・クオリッチ
元海兵隊の大佐でパンドラにおいては護衛の任務を負っている。
プロジェクトの最終目標であるアンオブタニウム鉱床の発掘のためには手段を選ばない武闘派で、原住民族であるナヴィに理解を示そうとはしない。

大佐の強行によりオマティカヤ族が1万年の時を暮らしてきた巨大なホームツリーは燃やされてしまうし、ナヴィのみならずパンドラに生きる全ての生命の拠所であるエイワをすら滅ぼそうとする。
ナヴィの側から見れば不倶戴天の仇敵ということになる。
実際に彼が行った蛮行は許されるものではない。

大佐がそこまでの人間になってしまった理由は劇中では語られない。だが、彼を単なる悪役と捉えてはいけない。
オマティカヤ族の指導者がジェイクがやってきたときに「すでにいっぱいになっている器にさらに注いてもこぼれ落ちるだけだ」ということを言った。
ジェイクがネイティリに赤ちゃんと同じだと言われたことは逆を返せば、心の器には注ぐ余裕がたっぷりとある、ということだ。

大佐の心の器はすでにいっぱいになっていた。それまでの人生で注いできた価値観は、易々と変えられるものではない。
大佐は自分の役割をよく理解し、任務を遂行するために勇敢に戦うことのできる優秀な人間だ。尊敬すべき点をたくさん持っている。
ただ、一点。
他者を理解しようとしない、してはいけない立場に上り詰め、そのための価値観で器を満たしていたことが大佐の悲劇だと言える。

●エイワ
人類は無明の夜に恐怖し、火を発明して以来、夜を制圧するためにあらゆる手段を講じてきた。
だが未だに完全な勝利を収めてはいない。エネルギー資源を奪い合い、環境破壊によって自らの首を締め、燃料の枯渇に怯えている。

ナヴィはそんな恐れとは無縁の進化をしてきたように見える。それは生体発光する動植物がうごめく明るい夜に生きているからでは、断じて無い。

人間は完全な相互理解の境地に至ることはできない。他人を理解したと思ってもそれはあくまで主観であり、個々の意識は隔絶され交わることはない。人類の全ての悲劇は結局のところこの一点に帰結すると思う。

ナヴィは違う。

ナヴィにはフィーラーと呼ばれる生体感応器官がある。
これが人間とナヴィの最大の違いだ。
地球とパンドラの違い、と言い換えても良い。

フィーラーはナヴィだけではなく、馬のような動物のダイアホースや、ドラゴンそのもののようなイクランといった動物にも備わっている。フィーラーを絡めあうことで意思の伝達を行うことができる。
人類が求めても得られない相互理解の手段を、パンドラに生きる動物達は生来の能力として持っているのだ。

そしてナヴィの聖地である魂の樹を中心とした、植物による衛星全体に張り巡らされたネットワーク、エイワの存在。
ナヴィは魂の樹にフィーラーを絡めることでエイワにアクセスすることができる。それは自分がガイアの一部であることを直接体感すること。
さらにエイワは悠久の時を記録している。それは生きながらにして輪廻を感じることができることを意味する。

相互理解の手段を持ち、個にして全であり、生と死は等価であることを知っている民族。それがナヴィだ。

ナヴィの立場や文化はネイティブアメリカンを彷彿とさせるが、彼らの文化をアニミズムやシャーマニズムに納めようとするのは誤りだ。
エイワの信託を受けるシャーマン的な役割をもつ者はいても、憑依や予言を行うものではないし、ナヴィにとっては崇め畏れる類のものではない。
そして森羅万象に神霊を形象せずとも、全てを肯定している。

なにより彼らは農耕をしない。狩猟民族である。
だからこそ戦士階級が尊敬され、パンドラにおいて最強のプレデターであるトルークを選び、トルーク・マクトとなったジェイクが、事実上全てのナヴィの指導者として認められたのだ。

『AVATAR』のストーリーに意外性は無い。
人間の理想といえる美しい世界、エデンとそれを守るための戦いが描かれているだけだ。

ナヴィが相手に愛情を伝える時の言葉は「I love you」ではなく「I see you」。
あなたが見える。
それだけで伝わる愛があるという物語だ。

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このページは、マピロが2010年1月13日 16:12に書いたブログ記事です。

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