友人の妹がお嫁にいきました。

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宮沢りえと同い年の俺は『僕らの七日間戦争』にてらいもなく感情移入し、今からは想像できようもない管理教育の只中で何かをしなければというモヤモヤした衝動はバンド活動へと向かった。

その友人とは高校時代からの付き合いで、一緒にバンドをやったり、数ヶ月間は部員ふたりきりの部活で苦労をともにした無二の悪友。
仮にも進学校にあっての部活動は2年で引退しなければならない。
しかし3年進級時に2年生の代がいなくなるという、あわや廃部かという状況になった。
それは自分たちの責任だったけども、1年生を勧誘してもう1年活動を継続してなんとか廃部だけは食い止めようと一緒に行動してくれたのは3年生のなかでは彼だけだった。

受験勉強をしなければならないのに、部活動も続けるのはバカだと思う。
部員は俺とそいつのふたりだけになったけど、なんとか新勧イベントをやって1年生はそれなりの人数が入部した。
そして1年間先輩として活動できたと思う。今でも母校にはその部が残っている。

友人は受験と部活を両立させていた。
部活のあとは毎日図書館に通い、足りない時間を集中できる環境を作って補っていたのだと思う。ちゃっかり彼女連れではあったが。
そして現役合格した。ちなみに俺の世代は第二次ベビーブームで受験はどの大学も簡単ではなかったと思う。
俺はあのときのあいつを尊敬している。

高校の卒業後も連絡はとりあっていたけど、それぞれ進んだ先で新しいバンドを組んだり、別の趣味を見つけたりして、会って語る高校時代のことは思い出話になっていった。

そんな中で、久しぶりに一緒にバンドをやってみようかという話になった。
俺はゲーム開発を仕事にしようと勉強をしていたところだったし、彼は既に働いていた。
聞けば余暇ではなく、本気でプロを目指すという。仕事も辞めると言った。

俺は一緒に活動することは断った。
自分もなれるかどうかわからない道を目指し始めたばかりで余裕などなかった。
目指す所が違う者が半端に関わってはいけないと思った。

でも、旧知のよしみでスタジオで練習するときに付き合うくらいならできる。
最初のうちはそれくらいの協力をしてやりたかった。

その週の水曜日、練習曲の打ち合わせをしてから別れた。
週末に1回目のスタジオ練習をすることが決まっていた。
久しぶりだったから俺はとても楽しみにしていたんだ。
でも彼とスタジオで練習をすることは一度もなかった。

あいつが南アルプスで死んでからもう14年たつ。

高校時代の友人たちとイベントごとに彼の家に集まるようになった。
線香をあげ、彼の両親と妹さんと大勢で飲んだ。
親戚の家に遊びに行くような感覚になった。

こう言っては失礼だが、妹さんもそれなりの歳になってしまった。
ひとり息子を失った両親を残して大阪へ行ってしまうのは心配かもしれないけど、自分の妹の結婚のように嬉しかったし安心もした。妹いないけどw
披露宴の会場に連れてきていたあいつの写真を見た時、あの事故で変わってしまった空気がまた変わるなと思った。
人は縁でつながってる。

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このページは、マピロが2012年2月10日 01:44に書いたブログ記事です。

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